建築工房 富澤

建築工房 富澤の基本コンセプト

お約束する5つのConcept

1.一貫した家づくり

プランニングに始まり、墨付け、刻み、仕上げと一貫して家づくりに携わります。
こうすることによって、常に建物が仕上がった状態を意識しながら仕事を進めることになります。 分業体制を否定するつもりはありませんが、一つ一つ納得のいく仕事をしていくために、たとえ数はこなせなくとも、このスタイルは必須と考えています。

2.大工の視点からみた家づくり

「墨付け」を始める前の大切な作業として「木取り」があります。これは、これから使う予定の土台、柱、梁といった材木をどこにどう使っていくか決める作業です。
木材というのは規格化された工業製品ではありませんから、一本一本クセがあり、個性があります。 そんな個性的な連中を丈夫でかつ見映えもする形に組み上げることが、大工の腕の見せどころともいえます。
家一軒となると何百本という材木と向き合うことになり、けっして楽な作業ではありません。 これで満点という答えはないと思いますが、その時ベストと思える仕事をする、そう言い聞かせて格闘しています。

3.無垢の素材を活かした家づくり

家の骨格となる土台、柱、梁だけでなく、内装に使う床、壁材にも無垢の材を多用しています。
飽きのこない美しさもさることながら、その肌触り、調湿、脱臭などその効果は多岐にわたります。 帰宅した際にホッとする・・・そんな家を目指しています。 見逃されがちですが、匂いや湿気がこもる押入れ、物入れなどでその効果はより際立ちます。

4.丈夫な家づくり

柱や梁といった構造を表しにし、視界にはできるだけ補強金物、構造用合板などは目に入らぬ家を目指していますが、決して耐震性を犠牲にしているわけではありません。
まずは木組みで丈夫さを確保しつつ、足りない部分には金物、合板なども併用して、耐震等級2~3(建築基準法の1.25~1.5倍相当の強さ)をクリアする丈夫な家をご提案いたします。

5.暖かく涼しい家づくり

木造で柱や梁といった構造を表しにしている家ですので、断熱性が低いと思われがちですがけっしてそんなことはありません。
外周壁まわりの気密、断熱には細心の注意を払い、ご予算との兼ね合いにもなりますが、省エネ等級4(伊那地域ではUa値(外皮平均熱貫流率)0.56W/(㎡・K))をクリアする仕様をご提案していきます。
耐震性を損なわない範囲での日射取得、通風の確保もプランニングの段階で熟考します。

 


事務所概要

事業所名 「建築工房富澤」  「建築工房富澤設計室」
代表者 富澤博之
所在地 〒399-4501長野県伊那市西箕輪中条5344-18
連絡先 (TEL FAX):0265-73-2180
設立 2000年「建築工房富澤設計室」建築士事務所登録
2003年「建築工房富澤」建設業許可登録
登録資格など 建設業登録 長野県知事許可(般)第22369号
建築事務所登録 長野県知事登録(上伊)第0X051号
事業内容 建築設計・施工
対応エリア できれば自宅から1時間以内の通勤圏内(長野県中南信地域)

プロフィール

  • 名前:富澤博之(とみざわひろゆき)
  • 生まれ年:1965(昭和40)年
  • 出身地:群馬県高崎市
  • 学歴:1990年信州大学農学部卒業
  • 職歴:1990年伊那市(株)青島建設にて大工修行開始
    1995年同社退職 開業独立
  • 取得資格:二級建築士(2000年取得 登録番号 長野 第12832号
  • 所属団体:長野県建設労連
  • 好きなこと:モノを作り出すこと 長距離走 山歩き 魚釣り 写真撮影
  • 休日:フルマラソンを走ることを生きがい(自己ベストは2:44:56ですが最近ではサブ3がやっとです)にしていますのでその練習にそこそこの時間を割いています

自己紹介

1965(昭和40)年群馬県高崎市に生まれになります。
父親が転勤族だったためその後、山梨、千葉と引越しを繰り返しました。
中学、高校時代を過ごした都市化の進む千葉から脱出したく、親元を離れ信州大学農学部に進学。
在学中に休学しアルバイトで資金を貯め、インド、ネパール、タイなどを半年放浪。
そこで、手に職をつけ世界のどこでも暮らしていけるような仕事をなりわいにしたいと職人の道に進むことを決意しました。

当初は家具職人を目指し職業訓練校に進むつもりでしたが、半年間会社員として働けば失業保険で一年間暮らせるという安易な情報を得て、伊那市内の工務店に就職、大工見習いのとしての生活がスタートします。
いざ働き始めてみると大工の世界はとても奥が深く面白いことにあらためて気づき、まずはこちらの道を全うしたいという思いが強くなり、訓練校への入校は諦めます。

当初は職人の世界の目に触れるものがすべて目新しく、休日もすべてモノづくり、給料の大部分も道具の購入に充てていたように思います。
当時、木造建築の世界は大工が墨付けし手刻みしていたスタイルから、「プレカット」と呼ばれる刻みを大規模な工場へ外注する形になる過渡期。
私の所属していた工務店も順次そちらへ移行、下っ端大工にとって墨つけ、手刻みなどという作業は夢また夢となってしまいました。
加えて、よりコストカットを要求され、無垢の板などは使わず、合板、石膏ボード下地のビニールクロス張りの仕様が標準といった仕事が多くなってきてしまいます。

見習いをはじめて5年。
自分のやっていきたいスタイルを貫くには自らその仕事を探すしかないと決意、かくして一度も墨付けをしないまま独立開業することになります。
今思えばよくもそんな思い切ったことをしたと怖くなりますが、その頃雑誌「住宅建築」を通じて知った、埼玉の設計士、丹呉明恭氏の主宰する「大工塾」に参加し、そこに集まる同じ思いを持った若い大工たちの、熱き思いに共感、自分にもできるという暗示にかかっていたのかもしれません。

その後、思いだけでは仕事を得ることはできないという当たり前のことを知ることになりますが、ご近所に始まり、友人知人、そしてそのお知り合いと口コミで仕事の紹介をいただき、独立して25年なんとかここ信州伊那の地で、大工をなりわいとして暮らし続け、現在に至ります。

 

富澤について 大工を生業として25年。趣味の長距離走、渓流魚との戯れなど日々の思いを綴ってみます。

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