ありがとう そして お疲れ様
私が大工として独立した時に移り住み、17年間暮らした家が本日より解体されます。
3人の子供たちもここで産まれ育ってきました。
お風呂は薪ぶろ、便所は外、掘り炬燵もありました。窓はガラス戸ならばまだいい方で障子に雨戸という部屋が半分という、およそ現在の一般的住宅からみれば、かけ離れた仕様の家でした。
夏は蚊帳を吊り、冬は囲炉裏の場所に薪ストーブを据え暖をとりましたが、断熱・気密などという概念はほぼゼロでしたのでコタツの上の台布巾は凍りつき、枕元に雪の吹溜まりができていることは日常茶飯事でした。
古い民家などというと黒光りした梁や柱、広い間取りなどと夢のようなイメージを抱く方も多いかもしれませんが、現実にはなかなか過酷な環境の中での暮らしを余儀なくされる・・・それを実感した17年でした。
そんなお世辞にも快適とはいえぬ我が家でしたが、家の前には時折岩魚が流れてくる井筋があり、そこでの「うろつかみ」や、少し沢をつめた先でサワガニ捕りをしたこと、冬は 裏山からのソリ遊び(これもほとんど体感的にはリュージュやボブスレーに近いスピードで吹っ飛ばすスリリングなもの)等々、文字通りその環境を満喫した暮らしができたことは、私だけでなく子供達にとっても財産となる貴重な体験だったろうと思います。
生業としては、より快適に過ごせる住宅を掲げている私ですが、人間が育つ過程において果たしてそれがベストなのか、いやむしろ過酷な環境で育った方がより我慢強く、そして普通の暮らしが、よりありがたく感じられるという意味では大切なのではないだろうか、そんな矛盾した思いを強く抱かせるこの家での生活でした。
ありがとう そして お疲れ様。
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