今、こうして職人になっている理由
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私が学生生活を送っていたころは、日本中がバブルに踊り踊らされていた時期でした。
田舎の大学でしたが、多くの学生が、特別な就職活動などせずとも、希望する職種、企業に就職できた、今では考えられないようなのんびりとした時代でした。
(果たしてそれが良かったのかどうかは、長続きしていないものも多いことから疑問符はつきますが・・・)
そんな中、このまますんなりと就職してしまって良いのだろうか、自分が本当にやりたいことは何なのだろうか、6畳一間の下宿で悶々としている自分がいました。
その時出した結論が、とにかく日本を脱出し、自分を見つめなおしてみようということ。
今にして思えばたいへん甘ちゃんだとはおもうのですが、学生の身分のまま休学し、アジア放浪の旅に出たのです。
旅の初めはネパールトレッキング。まだまだ観光気分。その後インドに下り各地を転々。最後にタイのバンコクで沈没。
旅が長くなるにつれ、それが日常になり、刺激も受けなくなり、一日何をするでもなし、バンコクの安宿でボーっとしている自分がいました。
今でもそうなのかもしれませんが、バンコクにはそうした旅疲れした沢山の旅行者が澱んでいました。物価も安く、食事も美味しい都市は貧乏旅行者には快適です。
マリファナやマジックマッシュルームにはまっているやからも少なからずいました。
そんな怠惰な日を過しながら、このままではいけない。とにかく何か手に職でもつけ世界中のどこへ行っても食っていけるようになりたい。
甘い香りの煙の漂う中、ぼんやりとでしたが、決意した自分がいたような気がします(今となっては定かではありませんが)。
帰国後、決して順風満帆に進んできたとはいえませんが、少なくともこの道に入るきっかけとなったのは、あの時の旅、怠惰な日常生活の反動ではなかったかと、今、振り返ると思います。
で、あるならば、そんな日々も自分にとっては必要だったわけですが、
中三になった長男が、何をするでなし、一日ゴロゴロしているのを見るにつけ、つい文句を言ってしまい、懐の狭い自分に落ち込んでもいます。
これまでのコメント
Unknown
結局、人生に無駄な時間というのはないのかもしれません(まだそれを語れるほど経験があるわけではありませんが)。
傍からみると、そう見えて、本人も内心まずいと思いながら過している非生産的な時間も、後から考えれば、次への充電期間だった・・・・
要はそれをどうとらえるか、気持の問題なのではないでしょうか。
最近はそう楽観的にとらえることが多くなってきました。
自分もそんなことありました
ふと振り返ってみれば形こそ違えどモラトリアム時代がじぶんにもありましたっけ。ぼーっとテレビを見ていた2年間とか・・・・・気持ちが妙に空回りしていたことを思い出します。
でも、その時があっていまの自分があるとおもうとそのときがとてもいとおしく感じられます。今このときに感謝ですね。
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