ハンパ大工への道(3)
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紹介された新聞記事の連絡先へ電話をしてみると、「いつでも見学に来いや!道具も持って」と上州訛の威勢の良い返事(私も同郷といえば同郷)。
早速、叔父さんの葬式という理由をつけて2日ほど休みをもらい出かけました(以降、工務店勤務中は沢山の親戚が亡くなったり結婚したりしましたが・・・もう時効ということで・・・・お許しください社長)。
行った先は群馬の山奥、水上町(現みなかみ町)、
そこで奥利根のヒバを原木から買い付け、一から家造りをしている大工、Yさんの作業場兼住宅でした。
ちょうど、次の現場の墨付け、刻みの最中で、作業場の中はヒバの品の良い香りが溢れていました。
ヒバといえば青森ヒバが有名ですが、奥利根の一番奥山からも、僅かながら産出されるとのこと。しかし人工林ではないそれは、もうモノもほとんど無く、市に出てきたらすべて自分が買い取っているとのこと。
そのために、丸太をストックしておくための土場から、ついには製材機まで揃えてしまったとのこと。
自分がやりたい道をまさに一直線に突き進んできた、大工さんでした。
そして、材木にはもう教科書くらいでしか見たことのない「金輪」「追掛」といった継手の数々。
所属していた工務店では、私に墨付の機会など回ってくることなどはなく、そのころはやり始めた刻みの外注(プレカット)によって、最早その可能性すらなくなりつつある状況だったのです。
一晩、お酒を頂きながら、Y大工の経歴をお聞きしました。
いわく、自分も大卒のいわゆる職人としては中途モンであったこと。
当初、所属していた工務店の仕事では飽き足らず、昔ながらの親方の元へ再度弟子入りしなおしたこと。
そして、今、自分が夢として思い描いていた、原木からかかわる家造りにたどりついたこと・・・・・
自分が抱えていた同じような悩みを、乗り越え、生きている人がいる(大袈裟なようですが、若かった自分にはとても新鮮でした)、私もこうなりたい、と強く思ったことを記憶しています。
その後、工務店には所属しながら、Y大工の建前に参加。
そこで、設計士のTさんと出会うことになったのです。
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