持続可能なエネルギーについて考える
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新調した薪割り機のテストを兼ねて、今日は家族で一日中薪造りでした。
私は、ただひたすら、チェンソーで玉切り。子供たちは、薪割り機で荒割り。かみさんは仕上げ割り(細かく)と運搬。
ケンカが始まったり、飽きて遊びにいってしまったりで、なかなか思い通りにはいきませんでしたが、なんとか軽トラ二杯分の薪は確保できました(寒中ですとこれだけあっても2週間もちません)。
それにしても、人類が利用してきた多分一番原始的なエネルギーである薪というのは、きわめて合理的だなあと改めて見直してしまいました。
まず、近年話題のサスティナブル(持続可能な)なこと(燃料としてなら10~20年も成長すれば十分に利用可能です)。
そして、成長中にCO2を固定しているため、燃やしてもCO2は増加しないこと(果たしてこれが真実なのか、またCO2悪玉論にも懐疑的ではありますが・・この際贔屓目にみましょう)。
また、それで暖をとった場合、遠赤外線効果なのか、きわめて心地よい暖かさが得られることなど。
私たちのような田舎で生活しているものにとって、これ無しの生活は考えられぬほど、身近にある便利なエネルギーです。
近年の、木材価格の低迷は、山から材としての木材の搬出を躊躇させ、値段の安い唐松や赤松などは間伐してもその場に放置される、切り捨て伐採がほとんどなのだそうです。
よって、山仕事をしている知人に一声かけておけば、いくらでも材の確保は可能です(果たしてそれが良い事なのか・・・もしかすると山が放置されもっと深刻な事態が近い将来生じる恐れもありますが・・・)。
この際ですので、とにかく田舎に暮らしているアドバンテージを最大限利用して、都会の人間には味わえない心豊かな生活を満喫してしまいましょう。
でもこの豊かさ。あまり多くの人が知ってしまうと、大挙して押し寄せてくる心配もありますから、あまり大きな声では言いたくはないんですけどね。
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