勇気ある撤退
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今週号のAERA(4/25号)にそれぞれ原発推進、反対の立場をとる学者の対談が掲載されていました(大阪大名誉教授 宮崎氏および 元京大講師 小林氏)。
これだけの事故を起こしておきながら、推進派は積極的に原子力は利用し増やしていくという立場にまったく揺るぎはなく、事故を引き起こした津波に対する想定が甘かったのは認めてはいるものの、想定外の自然災害ゆえ致し方ないとしています。また今回の事故で安全なはずの世界の原発推進計画に悪影響がでる恐れがあるとさえ言っているのです。
この発言を聞いて、まったくの素人である私でさえ開いた口がふさがりませんでした。
かくも推進派といわれる方々は高慢なのでしょうか。すべての事象に対し人間がミスなく対処できると考えているのでしょうか。そもそも今回の様な事故を想定外という一言で片づけてしまうこと自体、我々の眼から見れば想定外だったといえます。
また原発推進の立場をとる方々はその経済的優位性をあげていますが、今回の様な事故が起きた場合の補償などを考えると、とてもそんなことはないということがはっきりしてしまったのではないでしょうか(まだ事故は終息しておらず、果たしてどの程度になるのか、まだ予測もつかない状態です)。
放射性物質によって汚染されてしまった地域の除染方法を聞けば、表土をはぎ取り除去するというきわめて原始的な方法しかないようですが、果たしてそんなことが物理的に可能なのでしょうか。
おそらくその土地は、汚染を承知で住むのかあるいは放置せざるを得ないのでしょう(杞憂であってほしいと願いますが)。
そこで暮らし続けてきた人々の心情は、とても安易に推し量るわけにはいかず、まったくやりきれない思いが募ります。
今まで国のエネルギー政策に、さしたる疑問ももたずにきてしまったツケが今回の事故であるとするなら、自分も加害者のひとりであるのかもしれません。
地球上に、永久機関の様な持続可能なエネルギーがあるのか、はなはだ疑問は残りますが、だからといってこれだけの未来への負の遺産を抱える原子力に託そうとは到底思えません。
AERA誌上では、当面の代替エネルギー案として液化天然ガスによるガスタービン発電が紹介されていました。有限である化石燃料ゆえ資源枯渇のリスクは常に抱えていますが、とりあえずは100年程度の猶予はあるとのこと。
その期間中に次のエネルギーを模索していくとして、少なくとも原子力エネルギーからの撤退という選択肢はあり得ないのでしょうか。
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